箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学教員によるいろいろなメモ書き

新年度と選択的偶発性理論

盆栽の旭山桜が咲きました

2024年4月です。社会人7年目が始まる。いよいよ30代半ばに差し掛かり、腰を据えて、向き合うべきことに向き合わねばならないフェーズに入ってきたなと感じる。

先日、職場でインタビューされた。博士号を取った人々が、その後の自分のキャリアについて語るものだった。運だけでここまで生きてきた私の経験談が、一体誰の役に立つのだろうかと、インタビューを終えた後でさえ思っていたのだが、インタビュアーとの会話の中で「選択的偶発性理論」が話題に挙がった。

 

計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)は、心理学者のジョン・D・クランボルツ教授によって1999年に発表されたキャリア理論です。

計画的偶発性理論は、次の3つを骨子として成り立っています。

計画的偶発性理論の骨子> 

  1. 予期せぬ出来事がキャリアを左右する 

  2. 偶然の出来事が起きたとき、行動や努力で新たなキャリアにつながる 

  3. 何か起きるのを待つのではなく、意図的に行動することでチャンスが増える 

(中略)予期せぬ出来事が起きた際に行動できるだけの準備をしたり、偶然の出来事に遭遇すべくフレキシブルに行動したりすることで、チャンスが生まれるのです。

 

なるほど言われてみれば、偶然に左右され生きてきた自分にピッタリの理論であるように思う。そうでなければ、高校では赤点・補習だらけで、知らない教員にまで名前を認知され問題児扱いされてきた私が、こんな場所で教鞭を執っているなんて。にわかには信じがたいことだろう。

 

仕事はもちろん大変だ。やりたい仕事もやりたくない仕事もある。でも、大変だけど面白いなあ、と思って仕事ができるのは、あえて私が「人生の中でのゴール」を設定していないからかもしれない。ゴールを決めてしまったら、ゴールできてしまったその後に、一体何をしたらいいかわからなくなってしまいそうだ。

 

実は私は、研究者になりたいという強い気持ちがあったわけではない。パーマネントになることも、特に目標にしてなかった。3年頑張って無理だったらやめようと思っていた。大学にいるからといって、教授やPIになりたいわけでもないし、学内政治を「うまく」やって、偉くなって幅をきかせたいわけでもない。できることはいつだって「その時にやれることをやる」だけである。

 

これに対して「どうせ生存バイアスだろ」「自慢かよカスが」と、思ってしまう自分もいるが、そんなつもはない。でも、事実は事実なのだ。

この状況を説明できるとしたら、先に述べた理論が、最もリーズナブルなのだ。

 

私はよく「目標」を立てていた。「今年の目標」ってやつ。もちろん、過去の自分や、今も目標を立てている人を否定するつもりは毛頭ない。でも、ここ数年、目標を立ててみてもなんだかしっくりこない気がしていた。それは心のどこかで、明確な目標を持つ意味を見出せなくなっていたからかもしれない。

もしもあえて述べる必要があるとするならば「健康に気を付けて、いつも通り、良い仕事を地道に積み重ねていこう」ということだ。

 

今年度もよろしくお願いします。